大阪地震と2018 広島皮膚科学会総会
梅雨寒と気温上昇の激しい毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか・・・
皮膚科担当の田中です。
先日の大阪地震には大変衝撃を受けました。
被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
あれは余震で本震が来るとか来ないとか、特に現場周囲の方々は不安な日々をお過ごしかと思います。
先の2011年の東日本大震災を私は大宮の某デパート内12階の美容クリニックにお手伝いに言っている最中に経験しました。
12階ですからだいぶ揺れました。
耐震構造のためか、おそらく地上よりもだいぶ大きく揺れ、院内の備え付けの扉や引き出しは全開になり、PCや棚が吹っ飛ぶ様子、突然の衝撃と、天井などが崩れるさまを見て、ああ、このままだめかも…と思ったことを思い出しました。
幸い昼休み(14時過ぎだったでしょうか?)で患者様がいなかったのは幸いでしたが、逃げ道を確保しようと自動ドアや窓に寄ろうと思っても揺れがひどく近寄れないし、とうとう転倒してひっくり返るスタッフなどもいて助けたくても近寄ることもできない大きな揺れに、本当に怖い思いをしました。
その後、非常階段で命からがら1Fに降りたときは、本当に安心しましたが、なんと同デパート内1Fの化粧品売り場は大して乱れることもなく比較的整然としておりましたので、拍子抜けしました。
構造上、高層階の揺れがだいぶ強かったのだと思います。
その後の電車などの交通機関の完全停止、携帯電話などの通信障害などで、家族とも連絡が取れないまま、とりあえず来たバスに乗りました。
バスはすぐに立っているのもやっとの満員となり、走る先の各バス停に待っている乗車客も完全乗車拒否状態で走り続け…(バス停で待っていた方たちの怒号を浴びながらバスは無情にも走り続けました)
何とか周りの人に訊ねて、このままでは川越方面から外れてしまうと知り、見ず知らずの場所でバスを下車し、
固定電話を借りるために立ち寄った不動産屋さんで同様に助けを求めて来た名前も知らない若い女の子と国道をひたすら歩き続け、真っ暗になってようやく南古谷駅にたどり着き、止めてあった自分の車に乗って、その名前も知らない同志の女の子を自宅まで送っていったりして、結局自宅に戻れたのが23時(大宮発は16時ころ)過ぎだった覚えがあります。
地震大国の日本では改めて日々の生活で意識しながら生活していかなくてはいけないなと再認識させられました。
少し前になりますが、今年度の皮膚科学会総会に出席するため、広島まで弾丸で行ってまいりました。
通常の土曜の診療後の出発ですから、現地到着は夜となり、翌日は昼過ぎの新幹線で戻りましたので、全く消化不良な感じは否めませんが、とりあえず限られた時間で情報収集してまいりました。
広島で得た知識と情報を、日頃の診療に還元できればと思います。
到着日はホテルから歩いて原爆ドームの見学へ
翌日は学会に参加、最新の知見の収集です
帰りがけに広島城をお堀の外から拝み
新幹線ではかわいいカープのハイボールで疲れを癒しました 🙂
しかし、広島は東京駅から新幹線で4時間、遠かったー 😳